河内国に天野の四郎という男がいた。盗賊だ。盗みを目的に忍び込んだ館で、法然上人の説法を聞いた。その説法に、心底惚れ込んだ四郎は、法然上人に頼み込んで弟子となり、教阿という法名をもらつた。高齢になった教阿は、関東に向かう際に、法然上人に向かって、こう言った。
「関東に行きましたら、もう法然上人さまとは再会できないだろうと思います。そこで、最後に教えて欲しいことがあります。お念仏の極意とは、何でしょうか」
「念仏に極意などはない。ないのだが、一つ言うとすれば、むかし、私が真夜中に念仏を称えていたことを、覚えているか」「はい、覚えております」
「念仏は、他人に聞かせるのではなくて、自分自身が喜んで称えることだ。他人に聞かせるという飾り心を捨ててみることだ。飾り心の念仏は虚仮の念仏だ」
「ありがとうございます。自分自身が喜ぶお念仏を、これからも続けていきます」
令和六年は立教開宗八五〇年
総本山永観堂禅林寺
